また、会議ではグエン・アイ・クオック氏が起草した「簡略政治綱領」「簡略方針」「簡略党章」などの党の基本文書も採択しました。
その後、1960年9月に開催された第3回党大会において、党は「今後、2月3日を党創立記念日とする」と決議しました。
ベトナム共産党の創立は、ベトナム革命運動の発展における歴史的な節目であり、国家の革命史における転換点となりました。これは、マルクス・レーニン主義、労働者運動、そして愛国運動が結びついた必然的な成果でした。
(出典:『党文書全集』、『ベトナム共産党年代史』、tulieuvankien.dangcongsan.vn)
概要
1925年6月:グエン・アイ・クオック氏がベトナム青年革命同志会を結成し、幹部の育成に積極的に取り組むとともに、マルクス・レーニン主義に基づく民族解放の革命思想をベトナムに紹介した。
1929年3月:ハノイのハムロン通り5D番地にて、ベトナム初の共産主義細胞が結成された。
1929年6月17日:ハノイのカムティエン通り312番地にて、インドシナ共産党が結成された。
1929年8月:南部にてアンナン共産党が結成された。
1930年1月1日:インドシナ共産同盟が結成された。
1930年1月6日~2月7日:グエン・アイ・クオック氏の主宰により、香港・九龍(中国)で共産主義組織の統一に関する会議が開催され、ベトナム共産党が結成された。
国内情勢
労働者運動:1920年代を通じて急速に発展し、多くの大規模なストライキが発生した。労働者たちは賃上げ、労働時間の短縮、抑圧と搾取への抵抗を求めて立ち上がった。
愛国運動:ブルジョア民主派や小ブルジョア派の方向性をもつ運動は、闘争の方針や方法の面で限界を露呈し、革命を勝利に導くことはできなかった。
三つの共産主義組織の発展:インドシナ共産党(北部)、アンナン共産党(南部)、インドシナ共産同盟がそれぞれ独立して活動しており、力を結集するために統一が求められていた。
歴史的意義:ベトナム共産党の創立は、革命指導と思想の危機の時代に終止符を打ち、党がベトナム革命を指導する新たな時代の幕開けとなった。
国際情勢
ロシア十月革命(1917年):世界初のプロレタリア革命の勝利は、人類史に新たな時代を切り開き、植民地諸国の民族解放運動に強い影響を与えた。
コミンテルン(1919年):植民地諸国での共産党設立を積極的に支援し、ベトナムにおける共産主義組織の統一にも代表者を派遣して協力した。
民族解放運動:中国、インド、インドネシアなどアジアの植民地で民族解放闘争の波が高まった。
世界恐慌(1929~1933年):世界的な経済危機は帝国主義国とその植民地との矛盾を一層深め、革命運動の発展に有利な条件を生み出した。